介護福祉
後継者不足に悩む介護経営者へ。介護事業の「M&A・事業承継」で損をしないための財務・税務の基礎知識
介護・福祉事業の経営者にとって、「誰に事業を引き継ぐのか」は非常に重要なテーマです。
利用者が安定しており、職員もいて、地域から信頼されている事業所であっても、後継者がいなければ事業を継続することはできません。介護事業の廃止は、経営者だけの問題ではありません。利用者、ご家族、職員、ケアマネジャー、医療機関、地域社会にも大きな影響を与えます。
親族や社内に後継者がいない場合、M&Aは有力な選択肢になります。会社や事業を別の事業者へ引き継ぐことで、サービスの継続、職員の雇用維持、そして経営者が築いてきた事業価値の回収が可能になる場合があります。
ただし、M&Aは「経営者が疲れ切ってから」「業績が悪化してから」始めるものではありません。損をしないためには、交渉に入る前に、財務・税務の基本を押さえておくことが重要です。
目次
事業承継は業績が良い時から準備する
介護事業は、業績が安定している時ほど引き継ぎやすくなります。
売上が安定している、利用者が定着している、職員の離職が少ない、記録や請求が整っている、行政上のリスクが少ない。このような状態の事業所は、買い手から見ても魅力があります。
反対に、売上が落ちている、主要職員が退職している、資金繰りが厳しい、記録や加算管理に不安がある状態では、買い手から価格を下げられたり、交渉そのものが進まなかったりする可能性があります。
M&Aで評価されるのは、過去の実績だけではありません。買い手は「引き継いだ後も利益を出せるか」を見ています。
そのため、引退を考え始めた時点で、数年単位で準備を進めることが理想です。まずは、決算書、月次試算表、利用者数、部門別損益、人件費、契約書、借入金、行政関連書類を整理しましょう。
株式譲渡と事業譲渡の違いを理解する
介護事業のM&Aでは、主に「株式譲渡」と「事業譲渡」が検討されます。
株式譲渡は、会社の株式を譲渡する方法です。会社そのものは存続するため、契約、従業員、資産、負債、事業履歴などは原則として会社に残ります。運営上は比較的スムーズに進めやすい一方、買い手は会社に隠れた負債やリスクがあれば、それも引き継ぐ可能性があります。
事業譲渡は、特定の事業や資産、契約などを選んで譲渡する方法です。買い手にとっては不要な負債を避けやすい一方で、手続きは複雑になりがちです。介護事業では、指定権者への確認、利用者契約、職員の雇用承継、賃貸借契約、車両や設備の名義変更などを丁寧に確認する必要があります。
どちらがよいかは、借入金、税務状況、指定・許認可、契約関係、職員体制、買い手の方針によって変わります。売却価格だけで判断すべきではありません。
企業価値は「利益×倍率」だけでは決まらない
経営者からよく聞かれるのが、「うちの事業はいくらで売れるのか」という質問です。
M&Aの価格は、単純に年間利益へ一定倍率を掛けるだけでは決まりません。買い手は、利益、キャッシュフロー、純資産、借入金、利用者数、職員定着率、立地、設備状態、行政対応、今後の成長性などを総合的に見ます。
介護事業では、特に次の点が重要です。
利用者数と稼働率、サービス種別ごとの売上、加算収入と要件管理、人件費率と職員体制、離職率、採用難易度、返戻や請求ミス、賃貸借契約、修繕義務、借入金、経営者保証、役員や親族との取引、現経営者への依存度などです。
特に、売上や利用者紹介が現経営者の人脈に大きく依存している場合、買い手は引継ぎ後のリスクを見込み、価格を下げる可能性があります。主要職員が退職する可能性が高い場合も同様です。
高く評価されるためには、経営者が退いた後も回る組織づくりが必要です。
デューデリジェンスで価格が変わる
M&Aでは、最終契約の前に買い手がデューデリジェンスを行うことが一般的です。これは、会社の財務、税務、法務、労務、運営上のリスクを確認する調査です。
介護事業では、日々の記録、請求、加算要件、人員基準、雇用契約、未払残業代、社会保険、賃貸借契約、修繕義務、事故報告、苦情、行政指導の有無などが確認されます。
ここで重大な問題が見つかると、買い手から価格の引下げ、契約条項の追加、場合によっては交渉中止を求められることがあります。
たとえば、加算を算定しているにもかかわらず必要な記録が不足している場合、将来の返還リスクと判断される可能性があります。未払残業代がある場合は、隠れた負債として価格に影響します。
そのため、買い手に資料を見せる前に、売り手側で事前の財務・税務チェックを行うことが重要です。
税金は契約前に試算する
M&Aや事業承継では、税金によって最終的な手取り額が大きく変わります。
株式譲渡、事業譲渡、資産譲渡、親族内承継のどれを選ぶかによって、所得税、法人税、消費税、住民税、相続税、贈与税などの扱いが変わります。
親族内承継では、非上場株式に関する事業承継税制の検討が必要になる場合があります。ただし、制度には要件や期限があり、特例措置では特例承継計画の提出期間や適用期間が定められています。
M&Aの場合は、単純な売却価格ではなく、税金、借入金返済、仲介手数料、専門家報酬、表明保証に関する負担などを差し引いた後の「最終的な手取り額」で判断する必要があります。
高い価格で売れたように見えても、税金や費用を差し引くと、思ったほど資金が残らないケースもあります。
仲介手数料と利益相反に注意する
M&Aでは、仲介会社、FA、金融機関、弁護士、公認会計士、税理士など、さまざまな専門家が関与します。
専門家の支援は重要ですが、報酬体系は必ず確認しましょう。中小M&Aガイドラインでも、レーマン方式の基準となる価額には複数の考え方があり、採用される基準によって報酬額が変わり得ること、最低手数料が設定される場合があることなどが指摘されています。
確認すべき点は、着手金の有無、月額報酬、成功報酬、最低手数料、成功報酬の計算基準、株式価値と企業価値のどちらを基準にするか、仲介なのか片側のFAなのか、相手方からも報酬を受け取るのか、といった点です。
手数料を十分に理解しないまま契約すると、売却後の手取り額が大きく減る可能性があります。
譲渡後の引継ぎも重要
M&Aは契約を締結して終わりではありません。
介護事業では、経営者が変わることで、利用者やご家族、職員が不安を感じることがあります。説明が不十分だと、職員の退職、利用者の離脱、サービス品質の低下につながる可能性があります。
引継ぎ計画では、職員への説明、利用者・家族への案内、ケア記録や請求業務の引継ぎ、行政・指定権者との連絡、管理者やサービス提供責任者の役割整理などを決めておく必要があります。
前経営者が一定期間残る場合は、役割、報酬、権限、勤務期間を契約書や覚書で明確にしておきましょう。
まとめ
後継者不足に悩む介護経営者にとって、M&A・事業承継は有効な選択肢です。利用者のサービス継続、職員の雇用維持、経営者が築いてきた事業価値の承継につながります。
しかし、成功するためには準備が必要です。決算書や月次資料を整え、サービス別の採算を確認し、労務・請求・加算リスクを洗い出し、株式譲渡と事業譲渡の違いを理解し、税金と手取り額を事前に試算することが大切です。
事業承継の準備は、業績が悪化してからでは遅くなることがあります。最も良いタイミングは、事業がまだ安定している時です。
当税理士法人では、介護・福祉事業者向けに、M&A前の財務整理、企業価値を高めるための月次管理、税務シミュレーション、譲渡スキームの検討、デューデリジェンス対応、譲渡後の資金計画まで支援しています。大切な事業を損なく次世代へ引き継ぐために、早めの準備を進めていきましょう。
